《表現することを本気で考えた場合2/2~方法~》

 

 

音楽という表現物を大きく二つに分解すれば、中心にある感情世界と、それを覆っている音になる。つまり音楽は感情世界を伝えるために、音を使って伝えているわけで、また僕らは音を聴いているようで、その奥にある感情世界を聴いているとも言える。

 

 

どちらが本質的に新しい表現になるかといえば、中心にある感情表現を更新するほうで、技術や道具が新しくても、既存の感情世界だけを扱っていれば、うわべだけの新しさのみに終わるし、それは着せ替え可能で、誰にでもつくれる音楽になってしまう。

 

 

 

つまり、大事なのは、感情的に既に知っていることをやらないことやらこと

 

 

 

 

何か聴いたことあるなとか、何かに似ているなという、感覚があれば、それを取り除くか破棄するか、作り変えなければならないし、自分がすでにやったことさえも、回避しなければ、まだ知らない音楽をつくる可能性に一歩踏み出せない。

 

 

聞いたことある曲に新しいアレンジを加えて新しく見せるというやり方もあるのだろうが、それだけでは、やはり表現としては弱くなる。

 

 

心が既に知っているものはやらないという姿勢で取り組まなければ、表現は決して新しくならない。

 

 

 

技術上の新しさと、心の中で起きる新しさを区別し、本当の意味での新しい表現を考えつつ、音楽をつくる必要があると僕は考える。

 

 

 

 

表現物を大きく二つに分ければ、中心にある核と、それを覆う外皮(人に直に触れる部分)に分けられ、、核はここで言うところの感情世界で、外皮は音楽で言えば音になる。だから音楽は核としての感情世界を伝えるために、音を使って伝えているのだし、また音を聴いているようで、その奥にある感情世界を聴いているとも言える。

 

 

 

だから技術や道具が新しくても、既存の感情世界だけを扱っていれば、本質的には何も新しものはなく、うわべだけをとりつくろった、同じ中身に新しい服を着させただけの、本質的には以前と何も変わらない音楽が出来上がる。

 

 

 

つまり、大事なのは、感情的(表現の核)に既に知っていることをやらないこと、、、

 

 

 

何か聴いたことあるなとか、何かに似ているなという、感覚があれば、それを取り除くか破棄するか、作り変えなければならないし、自分がすでにやったことさえも、回避しなければ、まだ知らない音楽をつくる可能性に一歩踏み出せない。

 

 

心が既に知っているものはやらないという姿勢で取り組まなければ、表現は決して新しくならないからだ。

 

 

 

技術上の新しさと、心の中で起きる新しさを区別し、本当の意味での新しい表現を考えつつ、音楽をつくる必要があると僕は考える。

 

 

 ジョンの曲だが、2分50秒からポールのドラムソロと、ポールのギターのオクターブのフレーズ炸裂する。